2014年2月2日日曜日

育児休暇106日目 母乳育児が軌道に乗るまで(その1)

7:30 起床
 オムツ替え&授乳
8:15 朝食
 洗濯、荷造り
10:15 松山へ出発
11:30 子やぎの散歩 到着 ランチ
13:15 家へ出発
13:30 帰宅
 授乳、姉と散歩、友人来訪
18:00 夕食 父の誕生祝いでお寿司
19:30 お茶 父の誕生祝いのケーキ
20:30 お風呂
21:00 寝かしつけ
22:30 ブログ ➡イマココ

内子から実家へ移動。今日は気持ち悪いほどあたたかだったが、明日から寒さが厳しくなるらしい。山は一層冷え込むだろう。しばし街へ退避。

※母乳育児が軌道に乗るまでのメモ1
もともと母乳かミルクかについてさほど大きなこだわりはなかったが、あげれるものなら母乳の方がよいかな、と考えていた。ほ乳類として、そのほうが自然だし。
私は片方が陥没乳で、苦労するのかなと思っていたがその苦労がどんなものかちゃんとわかっていなかった。助産院で出産予定だったので、産後の入院中に授乳については助産師さんにサポートしてもらえると大船に乗っていたのである。(母乳育児に熱心な産院だった)
ところが、出産時の娘の体重が助産院の規定(2300g)に満たず産んだ日に病院へ転院。転院先は大して母乳育児に力を入れておらず、さっさと哺乳瓶でミルクをあげ始めてしまった。胸が張り始めて痛いと訴えても「そうですか。もっと痛くなりますよ。」と言う程度。おっぱいをあげるための努力はするつもりだったが、努力の仕方がわからぬままおっぱいをあげられなくなる恐怖はおおきかった。娘はNCUに入っているし心細くて夜中に泣いた。

私が幸運だったのは、助産院でカンガルーケアまではしてもらえたこと。(カンガルーケアで産まれてすぐにちゃんとおっぱいを飲んでくれた。)転院先が助産院に近く助産師さんが親身に来訪して相談にのってくれたこと。看護大学の先生が病室を訪れてアドバイスしてくださったこと。(出産を助産師志望学生さんの体験実習に使ってもらっていたのだが、実習に同意したことを学校の先生方に感謝され、良くしていただいた)

最初はとにかく3時間おきの授乳を守った。NCUにも毎回通い、授乳の努力をしてからミルクを与えていた。
入院3日目(だったか?)病院の搾乳機の使い方(どこにあるか、いつ使って良いか、搾乳したものを何に集め、どのように与えるか)を、助産師さん達が看護婦さんに聞いて話を通してくれた。それからは3時間おきの授乳の合間にとにかく搾乳。これによりおっぱいの痛みが徐々にマシに。
退院したその足で助産院へ(事前に助産師さんから電話あり)。おっぱいマッサージをしていただき、搾乳&おっぱいケア。ありがたくてこれまた涙。がんばろうと気を取り直す。
娘と私の退院は2日ずれた。離れている間おっぱいが止まる恐怖で、3時間おきに搾乳。夜中も目覚ましをかけて搾乳。昼間は病院に張り付き、授乳と搾乳機での搾乳。一番辛かった時期だと思う。
娘退院後、家での最初の授乳は2時間かかった。まだ暑い時期で全身汗だくになったが大してあげれずへとへと。徐々に慣れて行ったものの、とにかく陥没乳のほうを飲んでくれず嫌がるので、そちらは搾乳。
搾乳は腕も疲れるし時間もかかる。身体も服もベトベトに。気力も体力も消耗した。
このころはミルクと母乳の混合で、ミルクを足すことで体力を回復させていた。
2週間検診やらなんやらで娘をつれて助産院へ行くと、おっぱいマッサージと授乳指導。おっぱいをあげる姿勢をやりながら練習。寝ながらあげる方法を知ってかなり身体が楽に。次に縦だっこなら陥没乳のほうのおっぱいもちゃんと飲むようになり、授乳が更に楽に。これが一月目くらいだったはず。
その後乳首の傷による痛み、授乳で赤ちゃんの身体を支える腕の痛み、おっぱいが作られる胸の痛み、おっぱいで胸が張る痛み、白班ができて胸が張る痛みなどなど、様々な痛みを経験。

今は5ヶ月半。ぐずってもおっぱいさえあげれば心が落ち着くようで、飲み終わるとご機嫌になる。どこにいても授乳ケープさえあればすぐにあげられる。飲んでいる間は静かになるので外出も気楽だしおしゃべりも楽しめる。一生懸命飲んでいる様子は可愛い。そして寝かしつけにも有効。一緒にねながらおっぱいをあげると30分程度でぐっすり寝付く。

おっぱいは大変だが、とにかく偉大。周りのサポートで、私はおっぱいをあげられる環境にあることに感謝している。

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